文章断捨離とは何か?

文章から余計なものを排除し、読者が読みやすいように配慮すること。

これで間違いはないけれども、もう一歩も二歩も踏み込まないことには、本当の意味での「文章の断捨離」はかなわないと思うのですね。

では、何をしたらよいのか。

形容詞などの装飾語を少なくし、簡潔な表現に徹するべきである」とは、文章作法の基本。

作家の太宰治はその小説『富嶽百景』で「単一表現」という言葉を使っています。『富嶽百景』は「富士には、月見草がよく似合う」という決めゼリフが印象的な佳作です。いろいろと理屈をこねくりまわすのではなくて、単純にスッと人の心に染み入る表現を、太宰治は目指したのでしょうか。

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

太宰という小説家は、作家というよりも、コピーライター的な資質が優れていたと私は感じています。今でいう、キャッチフレーズとか、キャッチコピー的な表現がうまい人でした。

広告コピーの文章の基本は、短い言葉で印象鮮やかに表現することにあります。

その意味で、太宰治の文章は、余計な表現を極力減らしているという意味から「文章の断捨離」が実行されている言えそうです。しかし、私が規定したい「文章の断捨離」には、太宰の文体は、当てはまりません。

その理由は、文章は簡潔かつリズミカルで、非凡な才気を感じさせるけれども、実は、余計なものがいっぱい入っているんです。

余計なものとは、形容詞ではなく、センチメンタリズム(感傷)です。これがあると、真の感動は呼び覚ます力はないと、私は信じています。

では、真の意味で「文章の断捨離」をかなえた作家は誰なのか?

志賀直哉と言いたいところですが、違います。戸川幸夫です。

表現は限界まで簡素化され、なおかつ、感傷は徹底的に排除されています。なぜなら、戸川幸夫が描く世界は、非情な野生の王国だから。自然界、野生の掟を、厳しく描き出すことで、生きることの力を強烈に訴えかけてくれるのが戸川幸夫の文学です。

戸川幸夫の文章は、鍛えぬいているアスリートの肉体のように柔軟で強靭。無駄がそぎ落とされた文体からは、野生動物のように鋭敏さを読み取ることができます。それだからこそ、生命への深い愛情がにじみ出るのだと思うのです。

以上の意味から「文章の断捨離」を具現化した作家は、戸川幸夫だと言い切りたいのですね。そして、戸川文学の最高峰は、この作品だと信じて疑いません。

戸川幸夫「高安犬物語」

高安犬物語/爪王 (地球人ライブラリー)